スペシャリストとジェネラリストという言葉があります。
先日のことですが、たまたまFacebookで再開した中学校の同級生たちに誘われて飲みに行きました。
僕を含めて、集まったのは男4人。18年ぶりに再会した人もいて、昔話に花が咲きました。
もちろん、「今何してる?」といった話題もありました。
僕以外の皆が何をしているのかというと…
1人は、飲み会しているお店の跡取りで料理人。
1人は、写真が好きで、海外を渡り歩くプロカメラマン。
1人は、筋肉を極めた、パーソナルトレーナー。
みんな「好きなこと」を極めたスペシャリストじゃないか!!!
一方自分は…というと、一応サラリーマンやってますが?みたいな…
好きなことは、魚釣りとボウリング、あと読書とよく言ってますが、それで何したの…?どれだけ極めてるの?
他人と比べて落ち込む必要はないのは分かっていますが、いい意味で比べてしまいます。
そして得たひとつの気づき。
自分は究極のジェネラリストを目指していたのだ。
ジェネラリストになる事は悪い事ではない。社会に適合した生活を行うためには必要なスキルであり、今までもあらゆる場面で役に立ってきた。様々な能力を身に付けておくことで、あらゆるものを効率化し、社会と言う枠組みの中ではうまく生きてきた・・・はず。
そうです。「社会」に適合するためなんです。
あれ……なんか違和感が……
これからの時代に必要とされているのは、ジェネラリストよりもスペシャリストの方なのではないでしょうか?
ジェネラリストとしてそれなりに磨いてきたいくつものスキルたちは、すべて機械(コンピュータ)に置き換わっていくはずです。
将棋も、囲碁も、ポーカーでさえも、一流の人がコンピュータに負けたとのニュースが流れています。
車は、もうすぐ完全自動運転カーに置き換わるかもしれません。
これからの時代を生き残るために必要なこと。
それは、コンピュータに置き換えられないホンモノのスキルを持ったスペシャリストになることでかもしれません。
1人は、飲み会しているお店の跡取りで料理人。
→五感に訴えかける料理を生み出すアーティスト。
1人は、写真が好きで、海外を渡り歩くプロカメラマン。
→見たもののありのままの姿を残し、伝えるアーティスト。
1人は、筋肉を極めた、パーソナルトレーナー。
→肉体を鍛え、ココロも鍛えることで、顧客の望む人生を描き出すアーティスト。
機械に置き換えられないホンモノのスキルというのは、
人々の感性に訴えかける何かを持った、アーティストなのかもしれません。
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